屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.39  沈香のこと (H13.02.12)

特によいところも悪いところもなく平凡きわまる様を評する言葉に「沈香も焚かず屁もひらず」というのがある。今思えばそう言われていたのかと思うが、私はしょっちゅうそれに似た言葉を言ってハッパをかける人のもとにいたことがある。まだ若い時のことである。

説教をたれて「ちんこうも焚かず屁もひらず」と言って何もしないとそしる。これも今思えば「沈香」を「ちんこう」と読み間違っていたと分かるが、当時私は「珍香も焚かず屁もひらず」と聴いていた。なるほど「世にも珍しいお香を焚くような素晴らしいことをするわけでもなし屁のような何の役にも立たぬことをするでもない」とは面白い喩えを言うと感心していたものである。

友人たちとそのことについて話している時、あれは「ちんこうも焚かず」ではない、「ちんこも立たず」であるという話になった。「ちんこも立たず屁もひらず」の方が匂いよりも動きを表現しており役立たずの行動の様を非難する喩えにぴったりの感がある。あの人はそれを狙って言っているのだという話になった。若い我々へのユーモアもあってその人らしいと思うものの、私はずっと本当は「珍香も焚かず屁もひらず」だと思っていた。

長じて中国物産展に行く機会があった。良い匂いがしていたのでこれはなにかと訊ねたら「じんこう」であるとの答えだった。私は伽羅とか麝香の名や香合わせのことは本で見たことはある。白檀の扇子も見たこともある。しかし「じんこう」を残念ながら知らなかった。そんな私がそのときはじめて良い匂いにつられ香木片を8000円で買ってしまった。家に帰って包みをあけたら桐箱の表に「沈香」と書いてあった。恥ずかしながらそこで私ははたと「ちんこう」は「じんこう」であったかと気づいた次第である。

その後、人の集まりで、「ちんこも立たず屁もひらず」とハッパをかけられなるほどなと思っていたが「ちんこう(珍香)も焚かず屁もひらず」を聞き違えていたと笑い話にしていたことがある。また会社の朝礼でも思い違いの例として話したこともある。何回かのうち一回だけあれは「じんこう(沈香)」の間違いでしょうと言ってきた人がいる。技術者にはそんなに知っている人はいないだろうと思ってやっていたが、これはまずいとそれからはその話は止めた。


 
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